東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)35号 判決 1985年6月27日
原告 藤田亘
被告 東京都荒川区長
主文
1 被告が原告に対して昭和五六年一一月二四日付でした荒川区同和生業資金借入申込書受理拒否処分の取消しを求める訴えを却下する。
2 被告が原告に対して昭和五七年二月一〇日付でした荒川区同和生業資金借入申込書受理拒否処分に対する異議申立てを却下する旨の決定の取消しを求める請求を棄却する。
3 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対して昭和五六年一一月二四日付でした荒川区同和生業資金借入申込書受理拒否処分(以下「本件拒否」という。)を取り消す。
2 被告が原告に対して昭和五七年二月一〇日付でした本件拒否に対する異議申立てを却下する旨の決定を取り消す。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告の本案前の答弁
原告の請求の趣旨1項の訴えを却下する。
三 被告の請求の趣旨に対する答弁
1 原告の各請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 (当事者)原告は、その住所で約一〇年間箔押業を営んで来た者で、荒川区同和生業資金の貸付けを受ける資格を有する者である。
被告は「荒川区同和生業資金貸付事業実施要綱」(以下「本件要綱」という。)に基づき、右資金の貸付けを申請した者に対し、その可否を決定する権限を有する者である。
2 (原告の本件資金借入れの申請)原告は、昭和五六年一一月一六日被告に対し、本件資金の借入れの申請をした。
被告は、荒川区内のいわゆる未解放部落出身住民の生活の安定を促進する趣旨で同和生業資金貸付事業を行うことにして、本件要綱を昭和四九年八月に定めて施行しており、これには、その目的や貸付手続等について次のように記載されている。
「第一条(目的)この要綱は、同和対策審議会答申及び同和対策事業特別措置法(昭和四四年法律第六〇号)の趣旨にのつとり、歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている者に対して生活資金貸付事業を行うことにより、当該対象者の生活の安定を促進することを目的とする。
第二条(貸付対象)資金の貸付を受けることのできる者は、次の要件を備えた者とする。
1 区内に一年以上引続き居住していること。
2 事業計画が具体的且つ実際的で、直ちに事業が開始できること。
3 事業は、個人が営むものであること。
4 住民税を完納していること。
5 すでに、区から生業資金またはこの要綱による生業資金の貸付を受けていないこと。
………………
第六条(貸付の申請)資金の貸付を受けようとする者は、荒川区同和生業資金借入申込書に次にかかげる書類を添えて、区長に提出しなければならない。
1 事業計画書
2 住民票の写
3 部落解放同盟東京都連合会荒川支部推薦書
第七条(貸付の決定)区長は、前条の申込があつたときはその内容を調査し、貸付の可否及び貸付額を決定する。」
原告は右の規定に基づいて「同和生業資金借入申込書」に必要事項を記載し、これに所定の「事業計画書」及び「住民票の写」を添えて被告に提出したのである。
3 (処分行為)被告は、原告の右申請につき同年一一月二四日付で原告に対し、本件資金借入申込みについては本件要綱六条三号で定める書類の添付がないので受理できない旨を文書により応答し、本件拒否をした。
4 (異議の申立てと被告の却下決定)原告は、本件拒否に対し昭和五七年一月二三日付で、違法無効であるからこれを取り消すことを求める旨の異議申立てをした。
これに対し被告は、同年二月一〇日付で原告に対し、「要綱に基づく本件資金の貸付及びこれに伴う手続行為は、私法上の行為であるから異議申立をすることができないものに当る」との理由で原告の異議申立てを却下する旨の決定をした。
5 (本件拒否の違法、無効)
(一) (本件要綱六条三号の設置された原因とその存在理由について)本件要綱六条三号には、本件資金借入申込書の提出には「部落解放同盟東京都連合会荒川支部」の推薦書を添付すべき旨の記載がある。これは本件要綱が作成されるに際し、部落解放同盟(以下「解同」という。)が荒川区当局を糾弾して屈服させた結果である。すなわち解同は未解放部落住民を組織する一団体であるが、暴力的糾弾や部落民以外は皆差別者であるという「部落排外主義」思想の押しつけなどの行動をとつて来たものであつて、地方自治体がその責任と判断で公正・民主の同和行政を進めることを非難攻撃し、行政庁に対し同和行政施策については解同を唯一の窓口にすることを要求し、そのためには暴力的糾弾も許されるとの見解で当時の荒川区当局に迫り、同当局もこれに屈服したという経緯があるのである。しかし、かゝる解同の方針や行動には未解放部落住民でも反対する者が多く、そのため解同は全国的にみても未解放部落住民の一部を組織しているにすぎない。原告は解同の方針に反対の立場をとる者であるから、本件資金借入申込書の提出には本件要綱所定の解同の推薦書は添付しなかつたし、添付することは不可能であつたのである。
しかし、荒川区当局が右要綱に前記条項を記載した理由として、従来説明して来たところは、本件資金貸付けの対象者たる未解放部落出身者を確認することは、被告としては甚だ困難なので、本件要綱の前記条項のような定めをおいて、未解放部落出身者の団体である解同の推薦書をもつて対象者であることを確認するのだということであつたので、原告は本件資金借入申請に当たつて原告の父藤田種富の戸籍謄本を添付して、原告の出身地を証明すると共に、原告の実弟で荒川区に居住している藤田満義が既に被告から本件資金の貸付けを受けたことのある対象住民であつたことから右満義の住民票謄本も添付した。これは、現在東京都における本件のごとき同和属人事業の執行について都は、所定申請用紙に申請者の出身地を記載すれば足りるとしていることから、本件資金借入申請の対象者たる資格は、客観的な証明があればこれをもつて足りると解すべきものと考えたからである。
なお、過去に同和属人事業に関して解同を唯一の窓口とする所謂「窓口一本化」方式は解同の強制により多くの地方自治体で採用されていたが、これが自治体の同和行政の自主、公正、民主を破壊し逆差別を生みだし解同の私的利益を助長させ乱脈化をもたらしたため、現在は全国的にかゝる「窓口一本化」方式は改善されていること公知の事実である。
(二) (本件要綱六条三号の違法、無効)本件要綱六条三号は、前記のとおり解同東京都連合会荒川支部という特定の団体をもつて本件同和事業施策の唯一の推せん団体と指定している。そして、原告は、解同の前記のごとき特定の方針や行動に反対の立場をとつている者であるから、かゝる原告に対しその本件資金貸付申請の条件として、解同の推薦書の添付を絶対的必須条件として強いることは次の理由により違法、無効といわねばならない。
(1) 前記推薦書を解同東京都連合会荒川支部から原告が求めなければならないとすると、原告は、自己と異る思想、方針、行動をとる解同に屈従すべきことを強制されることを意味する。これは、被告において特定の解同の思想を原告に強要するもので、明らかに原告の思想信条を侵害するものであるから、憲法一九条の保障する「思想・良心の自由」を侵害するものである。
(2) また、憲法一四条は、いわゆる法の下の平等を保障しており、この規定を受けて地方自治法一〇条は、「住民はその属する地方公共団体の役務をひとしく受ける権利を有する。」と定めている。ところが、本件要綱記載の条項は、前述のごとく解同の思想や方針と異る原告に対してその思想信条が異るとの理由をもつて本件資金借入れの申込みさえもできないという差別をすることになるわけであるから、これは憲法一四条、地方自治法一〇条に違反する。
(三) 以上のとおり本件要綱六条三号に記載する文書の添付を本件資金借入申請の要件とすることは違法無効であり、これを唯一の理由として被告が原告の申込書の受理を拒否する旨の処分をしたことは違法たること明白であるから、本件拒否は取り消されるべきものである。
6 (異議申立却下決定の違法)
被告が原告に対してした前記異議申立却下決定は、その理由として本件資金の貸付け及びこれに伴う手続は私法上の行為であると述べているがかゝる見解は次項のとおり全く誤まつており、右却下決定は違法といわなくてはならない。
したがつて被告が原告の正当な異議申立てに対してした前記異議申立却下決定の誤りは明白であり、右決定は取り消されるべきである。
7 (本件拒否の処分性)
(一) 行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)三条二項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」の意義は、行政庁の公権力の行使によつて生じた違法な法状態を除去し、関係人の保護を図るという抗告訴訟の趣旨・目的に照らして判断されるべきである。そして、本件のような資金貸付制度において、資金の給付を定めた根拠が法律や条例ではなく、要綱であつて、当該要綱において申請主義を採用しているような場合には、申請制度を含めた制度全体について、その趣旨・目的を探り、そこから行政庁として応答すべきことが、一般法理上義務づけられていると認められれば、右申請は法令に基づくものであり、応答は行政処分であると解すべきである。仮に申請制度の根拠が形式上法令であるか否かによつて、その行政処分性の有無が識別されるべきであるとすれば、当該制度を採用している地方自治体が条例を制定しているか否かによつて、あるいは申請者が拒否処分を争うことができ、あるいは争うことができないということとなつて、著しく不公正な事態となるのである。
(二) 被告のした本件拒否は、法規とはいえない要綱に基づくものであるが、要綱が条例や規則ではないからという形式的な理由で行政行為性が判断されるべきでないことは、前記のとおりであつて、その行政処分性は、本件要綱の定める制度の趣旨・目的や運用の実態等を総合して判断されるべきである。しかるところ、本件要綱には、申請手続(貸付けを受ける要件)、行政庁の受理義務、貸付けの可否の決定義務が明記されているのであつて、このように地方公共団体が、一定の要件を具備した者の申請を受け付けて、その公金の貸与の可否を決定し、可とする者に対して貸付けをすることを一般的に定めて実施している以上、これは一つの法的制度であり、右制度における資格者が受ける利益は、被告の決定によつて実現されるか否かを直接かつ一方的に生じさせられるのである。
(三) 同和対策は、すべての国民に基本的人権の享有を保障する憲法の理念に基づいて行われるものであり、同和対策事業特別措置法(昭和四四年法律第六〇号、昭和五七年三月三一日限り失効。以下「旧同対法」という。)八条には、地方公共団体も、国の施策に準じて必要な措置を講ずることをその責務として規定していて、同法上地方公共団体も、その判断と責任において、その地域の実情にそくした必要な同和施策を講ずることが予定されているのである。本件要綱は、右憲法の理念にのつとつて、同和対策審議会答申及び旧同対法の趣旨を受け、同和対策事業の一環として荒川区が、その責任において行つている施策であつて、同法に基づく行政施策の一環といいうるのである。もつとも、旧同対法上本件要綱が定めるような属人事業については、対象地域指定の有無にかかわらず何らの規定もなく、その意味では、本件属人事業は、同法の規定する施策ではないともいいうるし、本件要綱のような個人に対する施策については、大学生、高校生の奨学金給付以外に国費の補助も出されていない。しかしながら、同法に規定する事業のみでは同和問題の解決を図ることはできないのであつて、地方公共団体としても、その地域の実情にそくした行政体制と施策を講じなければ当該地域における同和問題の根本的な解決に至らない。そこで、指定対象地域をかかえる自治体はもちろん、その他の自治体も属人事業を行つてきたのであつて、本件要綱もその一つである。右のとおり本件要綱は旧同対法の趣旨にのつとつているものであり、それが同法でいう同和対策審議会の答申とは無関係である旨の後記被告主張は誤りであるが、本件要綱に基づく申請に法令上の根拠があるかどうかは、本件貸付制度が同法に基づくものであるかどうかによつて左右されるものではないというべきである。なお、旧同対法は失効したが従来の同和施策を更に適正かつ効率的に運用する趣旨で地域改善対策特別措置法(以下「地対法」という。)が施行されていることは重要である。
(四) 東京都は、同和地区の把握ができない実情にあるため、昭和四四年東京都同和対策本部を設置して同和行政を行つており、その指導と関連区の協議によつて区の事業が行われている。特別区で同和生業資金貸付事業制度を有するのは一〇区であり、そのうち条例によるものも数区あるが、実施が条例によつていると要綱によつているとを問わず、同和事業を必要とする区がほゞ同一の制度を採用し推進しているのである。荒川区においても、東京都の指導の下に昭和四四年荒川区同和対策本部を設置し、区役所内の企画部企画課(のち同和対策室)が区の窓口となつて同和対策事業を行つて来ている。荒川区議会も昭和四七年六月同和事業推進の決議をしており、荒川区は、区の行う同和対策事業を区政の重要課題として推進する旨を明言している。本件要綱に基づく貸付事業は、荒川区が、その地域的特質に適合した行政施策として、昭和四九年その実施を決定したもので、同区における重要な同和対策事業でありその実情にそくした重要施策であることは、同区の一貫して認めるところである。
(五) 本件要綱に基づく制度は、同制度における受給要件を満たす区民にのみ有利な条件で生業資金を貸付けるものであつて、このような貸付けが許されるのは、被告が行政の執行者として、これを同和対策事業として行つているからであるとともに、区議会がこのような貸付けを承認して予算を議決し、財政支出を認めているからである。もつとも事業に必要な予算措置は講じられているとはいえ、制度上公金が使われる以上それ自体恣意的なものとはいえないから、法的根拠を全く無しにすることはできない。それ故に被告は、その誠実な業務の執行と、財政上議決された予算を執行すべく義務づけられた制度として本件要綱を定めているのである。本件制度は、右のとおり財政支出面からしても通常の貸付けによる資金の運用等ではないのであつて、昭和四九年以来区報、パンフレツト等によつて一般区民、対象住民への周知も図られており、被告は、貸付けをするか否かの決定につき恣意的な選択をすることが許されない。現に被告は、本件資金の借入申請者に対しては、被告がその対象者と認めた者につきすべて貸付決定をしているのである。
(六) 以上のとおり本件要綱の定める制度の趣旨・目的や運用の実態をみれば、本件資金貸付けを受ける資格者が本件制度から受ける利益は法的に承認され、あるいは法的保護を受けているのであり、申請者に対し行政庁は応答を義務づけられ、申請者は行政庁から応答を受ける利益を付与されているから、本件要綱に基づく申請に対する許否の決定は、もとより到底私法上の契約の申込みに対する承諾又は拒否とはいえず、行政処分であるというべきである。本来本件のような一般的な貸付制度は、条例をもつて定めるべきであるが、右応答の処分性は、要綱による場合も異ならないというべきである。
(七) もつとも、近時においては、従来行政行為の指標とされてきた「公権力の行使」の意義を、権力的行政に限ることなく、非権力的行政行為も抗告訴訟の対象とされるべきであるとの議論が有力である。現代の法制下では、行政当局に事実上の支配圏が多く設定されており、行政の現実的な支配力のある行為に対して国民の法益の救済を行う必要が切実であることから、公権力の行使の実体を欠く行政機関の行為であつても、ひろく利害関係者のためにもつぱら救済の必要から、これを直接にとらえて対世的な是正判決を求めうるよう処分概念を広くとらえ、たとえ私法契約関係による行政でも一定の行政目的のために国民を現実に支配する行為がある限り、国民はそれを形式的な行政処分と見たてて抗告訴訟の対象にすることができるというものである。
このような見地からすれば、本件貸付事業は、対象者の申請に対し応答義務を課している以上、対象者は重要な利害を持ち、拒否行為は行政処分として争訟の対象としうるというべきである。
8 (結論)
よつて原告は、被告に対し請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。
二 被告の本案前答弁の理由
1 被告が原告に対してした本件要綱に基づく同和生業資金借入申込書を受理しなかつた行為には、以下に述べるとおり行政処分性が存せず、原告の右受理「処分」の取消しを求める本件抗告訴訟は不適法であるから却下されるべきである。
(一) 本件要綱は、旧同対法に基づき、法の規定を実施するために制定されたものではない。
すなわち、同法に規定する同和対策事業は、「対象地域」の存在を前提にこれを実施することを予定しているが、東京都荒川区を含む東京都全域においては、いまだ「対象地域」が指定されていない。
したがつて、本件要綱によつて実施している同和生業資金貸付事業は、法に基づく事業ではなく、これに要する経費について同法七条に規定のある国からの三分の二の割合の補助金等は支給されず、その他同法九条、一〇条の規定の適用もない。
荒川区が、本件要綱に定める事業を実施するのは、右のように「対象地域」の指定がないから、法に定める「同和対策事業」を実施することはできないものの、区内に歴史的・社会的理由により、生活環境等の安定向上が阻害されている者が存在する状況から、区独自の属人事業として、その生活の安定を促進するという必要があるためである。
さらに同法は、その附則第二号の規定により、昭和五七年三月三一日限り失効しているのであるが、本件要綱はその失効された後も東京都荒川区において運用されているという事実によつても、本件要綱が同法に基づく事業とは考えられないことは明らかである。
(二) 地対法に基づく地域改善対策事業についても、これは、同法施行令第一条に掲げる四四の事業に限られるのであるが、本件のような生業資金貸付事業は、そのいずれにも該当しない。したがつて、およそ地方公共団体の実施する生業資金貸付事業は、その域内に対象地域が存するか否かを問わず、地対法に基づく地域改善対策事業に該当しない。それゆえ、本件要綱に基づく同和生業資金貸付事業も地対法に基づく地域改善対策事業にはあたらない。
なお、同法に基づく地域改善対策事業であるというためには、そのほかに、対象地域に対して行われる事業であるという属地的要件を備えなければならないが、本件貸付事業は属地事業ではないから、この観点からも地域改善対策事業には該当しない。
(三) 一般に、本件のように地方公共団体が、住民に対して資金を貸し付ける関係は、非権力的な作用であるから、本来的には、私法的な法律関係であるが、立法政策によつては、これを行政行為の形式を用いて、その法律関係を構成することも可能であり、行政行為化する立法措置がとられてはじめて行政庁のこれに関する行為が抗告訴訟の対象となる可能性が生ずる。ところで、本件要綱は、その形式から明らかなように、条例でも規則でもなく、法規としての形式をとつておらず、また、前述のように、法を実施するためのものとして制定したものでもない以上、被告がその補助機関たる職員を指揮するために発した訓令ないし通達ともいうべきものであつて、一般区民に公表もしておらず、公布手続もとられていない。したがつて、本件要綱の存在をもつて、本件貸付事業について行政行為の形式を採つていると解することはできず、本件貸付事業は原則に戻つて、私法的な法律関係としてとらえられるべきである。
よつて、被告が原告の本件要綱に基づく本件借入申込書の受理を拒否した関係は、私法上の関係であつて、公権力の行使を伴う行政処分であるとはいえない。
三 被告の請求の原因に対する答弁
1 請求原因1のうち、被告が本件要綱に基づき、資金の貸付けを申請した者に対し、その可否を決定する権限を有する者であることは認め、その余は知らない。
2 同2ないし4は認める。
3(一) 同5(一)のうち、本件要綱六条三号の記載の内容、部落解放同盟が未解放部落住民を組織する団体であるが、同同盟が必ずしもすべての未解放部落住民を組織しているものではなく、一部にこれに反対する者が存すること、被告が右要綱の右条項についてその記載の趣旨の説明をしていること、原告が本件借入申請にあたつて原告の父の戸籍謄本を添付したこと、原告の実弟の藤田満義が本件資金の貸付けを受けたこと及び原告が本件申請にあたつて右満義の住民票の謄本を添付したことは認め、本件要綱の前記条項は、被告が部落解放同盟に屈服した結果制定したものであることは否認し、原告が、部落解放同盟の方針に反対の立場をとる者であることは知らない。
(二) 同5(二)のうち、本件要綱六条三号の記載の内容については認め、原告が部落解放同盟の方針や行動に反対の立場をとつていることは知らない。主張は争う。
4 同6のうち被告のした異議申立却下決定の理由は認め、主張は争う。
四 被告の主張
1 (本件要綱について)
(一) 被告が本件要綱を制定したのは以下に述べる事情によるものである。
すなわち同和対策審議会は、昭和四〇年八月一一日内閣総理大臣に対して「同和地区に関する社会的経済的諸問題を解決するための基本的施策」についての答申(以下「同対審答申」という。)をした。
同対審答申を受けて制定された旧同対法は、未解放部落(同和地区)を「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域(以下「対象地域」という。)」(一条)と規定するとともに、国および地方公共団体のなすべき「同和対策事業」の目標を「対象地域における生活環境の改善、社会福祉の増進、産業の振興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化等をはかることによつて、対象地域の住民の社会的経済的地位の向上を不当にはばむ諸要因を解消することにある」(五条)としている。
(二) ところで、都市化のすう勢によつて同和地区の内外において、未解放部落出身者以外の住民との混住が多くみられるという一般的傾向があるが(同対審答申第一部二)、とりわけ荒川区を含む東京都内においては人口の集中と流動化が激しいため、行政体が同和対策の対象を地域的に把握することが極めて困難である等の事情があるため、いまだ「対象地域」の認定がなされていない。
このような事情から、荒川区においては法に定める「同和対策事業」を、「対象地域」が認定できない等の理由で実施することができない状態にある。
しかし、荒川区内には歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている者がいることもまた否定できないことから、荒川区は旧同対法に定める属地的な「同和対策事業」とは別個に、荒川区独自の施策として属人的な性質をもつ同和生業資金貸付事業を行うこととした。
そして、被告は昭和四九年八月右貸付事業を運営するにあたつて、貸付対象、貸付限度額、貸付けの申請、その他所要の事項を定めた本件要綱を制定し、これに従つて荒川区内に居住する、歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている者に対しその居住地が区内の何処であるかを問わず、生業資金を貸し付けることとした。なお、旧同対法は、昭和五七年三月三一日限り失効したものであるが、荒川区内においてはいまだ、歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている者の生活の向上をはばむ要因が全く解消しているわけではないので、荒川区は同法が失効した後も要綱に従つて生業資金の貸付けを実施している。
(三) ところで、被告は同和生業資金の借入申込みがあつた場合、申込者が対象者に該当するか否かを判定する必要に迫られるわけであるが、その判定は被告にとつて極めて困難な問題である。
すなわち、同対審答申によれば、全国の同和地区数は四一六〇地区にも及ぶが、問題の性質上、その所在と範囲は全く公表されていない。
仮に、被告が独自に対象者を判定しようとすると、被告自身が新たに同和地区のリストを作成するなどし、これと照合することが必要となるが、このようなことは行政体の手により部落差別を再生産することにもつながりかねないことから、到底実行することが許されないという事情がある。
そこで本件要綱では、六条三号により水平社以来の伝統を受け継ぐ全国的な部落解放運動の組織である部落解放同盟の支部であるところの、部落解放同盟東京都連合会荒川支部の推せん書によつて対象者を判定することとした。
右要綱の規定は、以上述べた事情に照せば行政体である被告にとつて現在とりうる現実的な方法として合理性を有するものであつて、右規定は原告の主張するような違法ないし不当との評価を受けるものではない。
2 (本件事件の経緯について)
原告は、昭和五六年一〇月二七日荒川区役所に同和生業資金の借入申込書を持参した。その応対にあたつた荒川区同和対策室の職員は、右申込書に要綱六条三号の推せん書が添付されていなかつたので、原告に対して生業資金の貸付けを受けるためには右推せん書が必要である旨の説明をしたが、原告はこれに応ずることなく、右借入申込書を置いて立ち去つた。荒川区の職員は、同月三〇日原告宅を訪ね、原告に右借入申込書を返還するとともに、前記推せん書を手交し、後日同推せん書を添付して再度借入申込をするよう説明した。原告は、同年一一月一六日再び荒川区役所に借入申込書を持参したが、その申込書には推せん書が添付されていなかつた。
その際、原告は、原告の父の戸籍謄本及び原告の弟の住民票の謄本を右申込書に添付し、これらが推せん書に代りうるものである旨主張した。しかし、本件要綱六条三号では、対象者であるか否かを推せん書の記載によつて判定することとしているのであり、被告はこれ以外の資料によつてその判定を行うことは、同和問題についての前記の事情等からなすべきではないと判断した。
そこで被告は、同月二四日原告に対して、原告の同和生業資金の借入申込書には本件要綱六条三号で定める書類が添付されていないので受理することができない旨の通知をしたものである。
五 被告主張事実に対する原告の認否
1 被告主張1のうち本件要綱六条三号の規定が合理性がある旨の主張を争い、これを基礎づけるとする主張事実を否認し、その余は認める。
2 被告主張2のうち、被告の判断については不知、その余の事実は認める。なお被告主張の「推せん書」用紙なるものは当初原告が荒川区同和対策室に赴き借入申込みに必要な用紙の交付を受けたおり、交付された用紙の中に含まれていなかつたので、右対策室の職員が右「推せん書」の添付が必要だと説明したとき原告は納得がゆかず、持参した申込書類を受けとらせたものである。
第三証拠<省略>
理由
本件拒否の処分性について判断する。
日本国憲法の基本的な原理の一つであるいわゆる法治主義の原則の要請するところにより、国民の権利義務を形成しあるいはその範囲を確定する等国民の具体的な権利義務に直接影響を与えるものである行政処分は、法律に基づいて法律の定める要件により行われなければならないものというべきである。けだし、そうでなければ、国民の具体的な権利義務に直接影響を与える行政処分が行政庁の恣意によつて行われ、国民の権利ないし利益が侵害されるおそれなしとしないからである。そして、この場合における法律とは、形式的意味の法律のみならず、条例等法律に準ずるものとされているものを含むが、いわゆる指導要綱ないし実施要綱等行政庁自らが行政庁の内部規則として制定したものは、それが法律ないし条例等の委任を受けたものでない限り、これを含まないものというべきである。けだし、そうでなければ、行政庁が自ら定める行政庁の内部規則によつて国民の具体的な権利義務に直接影響を与える行政処分が行われることを認めることになり、結局、行政庁の恣意による国民の権利利益の侵害を抑制することができないこととなるからである。
本件において、本件拒否の根拠である本件要綱が条例等の法令でなく、被告が地方自治法一五四条の規定に基づいてその補助機関である職員に対する訓令あるいは通達として発したものであり、かつ、何らかの法令の委任により定められたものでないことは、成立に争いのない乙第一号証の一及び証人角谷文昭の証言により、これを認めることができるから、このような本件要綱に基づいてされた本件拒否が行政処分に当たるということはできないものといわなければならない。
原告は、本件要綱が条例等でないという形式的な理由で行政処分性を判断すべきではなく、本件要綱の定める制度の趣旨・目的や運用の実態等を綜合してこれを判断すべきであると主張する。しかしながら、本来国民に法律的効力を及ぼすものではないとされる通達ないし訓令によつて設けられている手続が、その定められた趣旨・目的や運用の実態のいかんによつては国民に法律的効力を及ぼすこととなるということは背理というべきであるから、このような主張は採用することができないものというべきである。
また、原告は、本件要綱と同様の同和生業資金貸付制度を設けている区は東京都において一〇区あり、そのうちには右制度を条例をもつて定めているところもあるが、条例をもつて定めている区においては申請に対する拒否を争えるのに、要綱をもつて定めている区においてはこれを争えないこととなるのは不合理であると主張するが、一定の行政庁の行為が、その根拠となる法令等の相違によつて、あるいは行政事件訴訟の対象となり、あるいはその対象とならないこととなるのは、行政事件訴訟という制度の上からは当然のことであつて、何ら不合理とはいえないのみならず、原告は、本件拒否について、抗告訴訟によつてはこれを争うことができないとしても、他の訴訟形態によつてこれを争う余地がないとはいえないのであるから、原告の右主張も理由がないものといわなければならない。
以上によれば、本件拒否は行訴法三条二項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当するということができないから、原告の請求の趣旨1項の訴えはこれを却下すべく、また、被告が原告の異議申立てに対して本件拒否が行政処分でないとしてした却下決定は正当であるから、原告の請求の趣旨2項の請求は、これを棄却すべきである。
よつて、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宍戸達徳 中込秀樹 小磯武男)